夜空に咲く平和への祈り。長岡花火に込められた歴史と想い
こんにちは!座間市からお届けする「いどばたかいぎ」です。
日本の夏といえば、夜空を彩る美しい花火。全国各地で数多くの花火大会が開催されますが、その中でも僕の故郷で毎年8月2,3日に行われる「長岡まつり大花火大会」は、一度は見てみたいと憧れる人も多いのではないでしょうか。
その圧倒的なスケールと息をのむような美しさはもちろんですが、長岡花火が多くの人の心を惹きつけてやまない理由は、その背景にあります。今週のいどばたかいぎでは、単なる夏の一大イベントではない、長岡花火の知られざる歴史と、そこに込められた深い祈りの物語を紐解いていきたいと思います。
始まりは「慰霊」と「復興」への誓い
長岡花火の歴史を語る上で、決して忘れてはならない出来事があります。それは、70年以上前の悲しい記憶、長岡空襲です。
1945年(昭和20年)8月1日。B29爆撃機による大空襲で、長岡市の市街地の約8割が焦土と化し、1,488名もの尊い命が失われました。
この悲劇からちょうど1年後の1946年(昭和21年)8月1日、人々は絶望の中から立ち上がり、「長岡復興祭」を開催しました。これが現在の「長岡まつり」の前身です。そして、この復興祭で打ち上げられた花火こそが、現在の長岡花火の原点となりました。
長岡花火は、空襲で亡くなられた方々への「慰霊」、絶望的な状況から街を再建した先人たちへの「感謝」、そして二度と悲劇を繰り返さないという「恒久平和への願い」が込められているのです。毎年8月2日と3日に開催されるのは、この歴史的背景に基づいています。
一つひとつの花火に込められた特別な想い
長岡花火には、その想いを象徴する特別な花火があります。
白菊(しらぎく) 空襲で亡くなった方々への慰霊のために打ち上げられる、真っ白な尺玉三連発。夜空に静かに咲き、そして消えていくその姿は、まるで鎮魂の祈りのようです。長岡市民にとって、この白菊は特別な意味を持つ花火です。
復興祈願花火「フェニックス」 長岡の苦難は戦争だけではありませんでした。2004年(平成16年)に発生した中越大震災も、甚大な被害をもたらしました。この震災からの復興を願い、翌2005年から打ち上げが始まったのが、平原綾香さんの名曲『Jupiter』にのせて打ち上げられる「フェニックス」です。 「何度でも立ち上がる」という強い意志を示す不死鳥(フェニックス)のように、夜空いっぱいに広がるその光景は、見る人すべてに勇気と希望を与えてくれます。
圧倒的スケールと技術の結晶
長岡花火は、その精神性だけでなく、花火そのもののスケールも圧巻です。
正三尺玉(しょうさんじゃくだま) 長岡花火の代名詞ともいえる巨大な花火。直径約90cm、重さ約300kgの玉が上空約600mまで打ち上がり、直径約650mもの大輪の花を咲かせます。その迫力と美しさは、言葉を失うほどです。
ナイアガラ大瀑布 日本最長の信濃川にかかる長生橋(ちょうせいばし)に仕掛けられた全長約650mのナイアガラは、まさに光のカーテン。川面に映る光景も相まって、幻想的な世界が広がります。
まとめ
長岡花火は、単に美しいだけではない、人々の「祈り」そのものです。過去の悲しみを忘れず、それを乗り越えて未来への希望へと繋げてきた長岡市民の魂が、一発一発の花火に込められています。
次に花火を見る機会があれば、その夜空に咲く一輪の花に、どんな歴史や物語が秘められているのか、少しだけ思いを馳せてみてはいかがでしょうか。きっと、いつもとは違う感動が待っているはずです。
高校生の頃はまだ三尺玉と長生橋で行われるナイアガラの滝がメインでした。
友達の別宅が長生橋の東側の麓にあって、花火大会の時にいったことがあります。
その時初めてフェニックスを観た時は度肝を抜かれました。
地元の人なら判ると思いますが長生橋から長岡大橋までの距離は約2kmあります。
かなりの距離です。
その間をスターマインのような打ち上げ花火が夜空を覆い尽くすのです。
皆さんの心に残る花火大会や、その思い出があれば、ぜひコメントで教えてくださいね。
2025年8月2日は
長岡花火:BSーNHK
厚木花火:音だけ
座間キャンプ花火:我が家のリビングから正面に見えます。
コメント
コメントを投稿